経済に縛られることから解放されない限り人間の苦悩と愚かさは続く
死への恐怖や呪縛から愚かな行いに陥る人もままいるが
最も大きく罪深いのは『経済』
経済が優劣を作り、経済的問題が人と人との関係を裂き、
逆に経済的安泰が人を愚鈍にする(それさえ揃えば良いと思い込んでしまう)
本当の『ひとの満足』や『人生の愉悦』に至る道は遠く
経済的問題を、ポン、と飛び越えた人のみにその権利が得られる
飛び越える方法は2つしかない
1. 一生で使い切れないほどの金を得る
2. 足るを知る
1は下手をすれば愚鈍への道に他ならない
得過ぎた金は意味を失う
貨幣の価値は公平だが、それによってもたらされる価値感覚が著しく落ちる
社会全体から考えて非常にバカらしくもったいない話だ
限りある貨幣の価値をすすんで貶めるわけだから。
じゃあどうしたら良いか?解答は明白だ
それに気付いていない時点で極めて愚鈍だと言える
ちなみに気付いていても行動に移すことができていなければ同じだ
さて、つまり幸せへの道は「足るを知る」しかない
これも2種類にわけられるだろう
2-1. 現在与えられているものが『最善』だと捉える
2-2. そこそこの目標(うまくいけば達成可能)を持ち
その達成のためにコツコツがんばる
その軸上にすべての価値観を転化し
「このラインに達すれば良し」とする(地位、年収、一軒家、etc.)
2-1は非常に清く潔い生き方だと言えるだろう
こうなりたいものだ。
しかしなかなか難しいだろう
これを実現している人間は美しい。
しかし人間は得てして悪習の方向へと流れる
何が難しいかというと人間は『期待』を持ってしまう生き物だからだ
すがるような『希望』の話はしていない
薄く、浮ついた『期待』のことだ
淡い期待を抱え、その正否に一喜一憂するのは人の性である
ものごとを『最善』と捉えることは難しい
これは宗教的概念でしか説明できないことが多い
2-2は非常に人間臭く、容易に辿り着ける領域にある
しかしこの生き方は『時間』を犠牲にする
本当は価値がないものに血道を上げて
心血たらしてすべてを犠牲にし
、、、それで、一生が終わりになる可能性がかなり高い
生涯が閉じる最後に「あれ、これってそんなに欲しかったんだっけ?」と
しかし人間は『ほどほどの満足』を得ることによる効能を知っている
脳は休まり、充足感に溢れ、そして次の渇望が始まる
キリのない永続的アップデートに踊らされ、、
しかしまぁそこそこ満足でそこそこ解放されていると言えなくもない
エコノミック・スレーブ
2-2は残念ながら奴隷の候補者だ
何かのちょっとした落とし穴にハマるや否や、完全な転落は目と鼻の先となる
1は愚鈍であることだけが問題のように前述したが
2-2の突き抜けた例である、と捉えることもできる
例えば急激な金融資源の下落、当然賢いものなら分散投資を心がけるのだろうが
仮にそれら全てが同時に無に帰すような恐るべきシチュエーションに面したとき
彼らも同じように『奴隷』であったことを自覚せざるを得ないだろう
しかし現実問題、そうなる人間は少ない
案外そこまでひどく世界は悲劇的でドラマチックな不幸には満ちていないものだ
1の例にあてはまる人間のほとんどは
人生を謳歌し、贅を尽くし、文化的活動にいそしみ、
最後は自分を『勝ち組』とほくそ笑んで死んでいくのだろう
当たり前だが、経済というものが限られた資源の奪い合いである以上
1の例に当てはまる人間は巨視的に見て少数であり
中長期的な時間変化においてほとんど増えも減りもしない
誰かが事業で成功し億万長者になれば、
そのとき地球の裏側で誰かが破産している
そういうものだ
# 楽観的、大局的に言うと実体経済は常に膨張し続けていると捉えるべきなのだが
# 物価や生活水準などもろもろを考えればこう言ってしまっても差し支えないと思う
近年でいうと過剰な中国投資のツケが来て、中国で億万長者が増え日本では大リストラが敢行されている
つまりは、そういうことだ
罪深い強力な悪魔『経済』
「やりたいことをたまたま仕事でやってるだけだから」
と格好をつけている人間も、月末には給与明細を食い入るように見つめているはずだ
「金は親の遺産でどうにかなるし」
とかほざいているニートはいずれ消費者金融の餌食となることだろう
エコノミック・スレーブ
踊らされない強い心を得ることができたら
そのひとはきっと極めて貴重なほどに健全な幸せを得ているに違いない

