元々読書好きな方なのですがどうもパラで読むクセがあります。
ある時期同時に読んでいた本が「孫子」、「管子」、あとダニエルゴールマンの「EQ」の続編、の3冊。
そこで気がついたんですが、本を読む行為というのは分類するとざっくり3つ。
スリルやファンタジーなどの疑似体験を楽しむ「楽読」
学術書や論文、評論などから勉強する「学読」
あと最後に、事柄を整理するための「芻読」
EQは「学読」、孫子や管子は「芻読」だと思っています。
# ちなみに全部勝手な造語です(笑
# 「芻(すう)読」は消化吸収行為の「反芻」から取りました。
# 辞書によっては「反芻=思い出す」と書いてあったりします。
私が中国思想に興味を持ったのは9.11の時。
宗教の歴史について無知な自分を恥じ、とにかく主要な宗教について勉強しました。
また彼らほど寄りかかれるものを持っていない自分に不満を感じ、
自分が身をゆだね得るものは存在するのか真面目に考えました。
それでその時たどりついたのが「論語」だったわけです。
当時何がそんな気に入ったかというと、
1. 幻想的な押し付けがないこと(現実に即した教えであること)
2. 方針を示すだけで決めつけが無いこと
3. 質素であり平和的であること
4. どれを読んでもスッと入ってくること
ざっくりこんな感じでした。
特に一番大きかったのが4です。
これが何故か、ということについては複数の学者が述べていますが
皆概ね一致するのが「孔子は偉大なる凡人だったからだ」という見解です。
つまり、ものスゴイことを発見したり、
誰もが気づいていなかった点を指摘したり、
神の啓示なんて凡人には及びもつかないものを聞いたり、したわけではない、と。
孔子の現代における功績は、
皆がごく一般に「なんとなくこうするべきだろう」とか
「どっちかっていうと普通はこっちの方がいいよね。理由?う~ん、だって普通そうじゃない?」
というような暗黙知的な事柄を文言や事例を使って明確に整理しているということです。
# ま、これは当然我々が日本人だからそう感じるわけですが
例えば「親兄弟は大事にしなさい」「年上を敬いなさい」
「人からものを奪ったりしてはいけません」「私欲を持ちすぎてはいけません」
というような、ごくごく当たり前の儒教的道徳から、
「若いうちは才能を制限せずいろいろやることだ」
「あの国は当主が民衆の要望を聞き、税が軽いから人が集まる、そうすると自然と国力が高まるものだ」
「学問は学ぶことそのもの、そして同志たちとそれについて議論することに
真の喜びがあるわけで、別にそれをひけらかす必要なんてない」
というようなある程度つっこんだものに関しても決して「目からウロコ」の代物ではありません。
そんなものになんで価値があるか、というと
それは「明文化(文言化)」したことだと私は解釈しています。
確か「習うことと実際に行うことをしないと学問を修めたとは言えない」
というような一説も論語の中にあったかと思います。
それは道徳についても言えることで、
人間たるもの皆ついついわかっていても矩(のり)をこえていたり
周りが見えなくなっていることはよくあると思います。
その時、明文化されているものを見直すと、さぞハッとさせられることでしょう。
つまり「芻読」とは、既に知っている、感じたことがある事柄を
きちんと整理された例や、明確なロジックでくくっているものを読むことで
自分の中に消化吸収するための読み物、と私は定義しています。
先ほど挙げた孫子は戦術について、管子は政治について多く言及している本ですが、
それらのどちらも決して「目からウロコ」ではありません。
# だって2000年近く昔の本ですからね
しかし様々なステージで活躍する人々がこれらを参照するのは何故か、
それは自らの大脳辺縁系や扁桃体レベルで格納されている「情動(感覚)」を
新皮質レベルの「知識」に整理することが必要だからだと
彼らは経験的に感じているのではないか、と私は思います。
(ここら辺はEQ参照ですね)
人間、「大丈夫大丈夫、あれでしょ、良きようにやっとくって、わかってるよ」
というのはなかなか当てにならず、
「AをBするのは間違ってるので必ずCにするように、
場合によってはDしても構いませんがEに気をつけて」
というように整理しておかないと忘れます。
特にトラブルがあった場合の対応、一見ケースバイケースの事象の中にある法則性
などにぶち当たったとき、きちんと整理することは必須です。
さて個人レベルですらこれですから、これがグループになった日にはさぞ難しかろう、
というのが容易に想像できます。
したがって複数名が行動を共にするにあたって、目的意識やビジョンを
明文化しておくことは非常に重要、というより
これを外すと、どんな優秀でモチベーションの高いメンバーを集めたところで
ただ目の前の事象や利害に対して取り組むだけで終わるでしょう。
芻読すること、また、させることは面倒なものです。
しかしこれが闊達な組織運営のための隠れたキーなのかもしれません。


[…] 「<芻読>脳構造と明文化の重要性について」 […]