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オフィス外作業を推奨しよう 〜 真摯にベストを尽くすための方策〜

『ノマド』
21世紀に入ってから一般化した言葉かと思うが、元々は遊牧民のことを指す。移動し続け、各所各所で簡易的な拠点を築き活動する姿を意味する言葉として用いられる。
詳しくはWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E7%89%A7%E6%B0%91

21世紀と言ったがこれはいわゆる『ITのコモディティ化』とセットの話だった。というのも現在ノマドとはほとんどの意味でオフィス間フリーアドレスだったり裁量労働制に伴う出勤義務のない勤務スタイルだったり、場所を選ばない働き方のことを指す。つまりノマド≒ノマドワーカーというわけだ。
ノマドという言葉と概念は遥か昔からあったわけだが、これが就業スタイルの言葉として流用されさらに社会的に受け入れられるまでの過程には、例えばハードウェアのレイヤで言えば、無線LANの普及、ノートPCの小型軽量低価格化、3G/4G/LTEの普及、ソフトウェアのレイヤで言えば、グループウェアの進化、クラウドサービスの発展、セキュリティ、様々な技術とニーズの合致があって積み重ねられてきたものがあったわけだ。そしてそれらの上に立っている。
まさにAI = After Internetの代表的産物と言えるかもしれない。

リモートワークについては別ポストも参照
http://mixture-art.net/remote-work/

さて、少々前置きが長くなったが、素晴らしき一般論として『技術はニーズを満たすためにある』のだ。つまり社会的需要というものは元を辿ればそれは人間がハッピーになるためにある。

ハッピーになる。これは公私に問わずパフォーマンスを上げるということで間違いない。結果が全てではない。
元サッカー日本代表監督の岡田氏があるインタビューで言っていたが「勝敗なんて5割は運」確かに乱暴に言えば物事は総じてそんなもんかもしれない。
しかしこれはあくまでやることをやり尽くした人のセリフだ。
例えば相手DFのクリアボールが味方FWの頭に当たってそれがたまたま入っちゃったゴールで勝てた試合があったとする。クリアがたまたま当たってたまたまそれがゴールに入ったのは単なる運だが、その「たまたま」が起こる位置までがんばってチェイシングしたFWの努力は褒めるべきだし、その献身は続けるべきだ。しかしFWとしてはこれって殊勲は殊勲だが、とはいえ「おれが決めたんだぜ!」って偉そうに言うほどの話ではない。つまり結果のみに焦点を当てて、自身を過小評価するのは勿体無いし、逆に増長してつけあがるのは的外れだ。
仕事だったり勉強だったりスポーツだったり、短期で結果が出にくいものに関しては特にそれは顕著だろう。
長期的に考えて最も重要なことは「いかにパフォーマンスを最善に持っていくか」だと言える。

例えばサッカーでの別の例だが、最近ヘルタベルリンの原口元気選手のパフォーマンスには驚く人が多いと思う。
「こいつこんなに走れる選手だったっけ?」

元々決定力や突破力には優れていたが、持久力や献身性とは無縁の選手だった。ドイツに行った後も思うように結果が出ず、昨年も別に大きなニュースになるような活躍は無かった。しかし彼はその間にパフォーマンスの最適化に努力を重ねたのだろう。一年で見違えた。

短期的な結果や成果を目指すことは容易だし、分かりやすいし、メンタルはちょっとツラい程度でしのげるし、何より大きな覚悟やコミットメントをしないで済む。
しかしその時本来は「自分のパフォーマンスは最善か?」と問うべきなのだ。「目先の結果にとらわれていないだろうか?」ひとつの判断、精神状態、技術、精度、ベストを出すことを怠れば、その積み重ねはいずれ大きな痛手となる。

さて、それを踏まえて問おう。
「一日中オフィスにいた方がベストパフォーマンスが出せるか?」

当然職種および状況によってはそうだろう。
実験室にしかない機材、アドバイスをくれる先輩、上司の承認印、煩雑な事務処理をしてくれる庶務のメンバー。

ここでもう一度問おう。
「それって一日中?それって毎日?」

オペレーション業務の方は一日中だし毎日だろう。しかしそれ以外のひとは、、、?

少し角度を変えてみよう。
仕事を軸として考えた時、例えばどういう時に憤りを感じるだろうか?『憤り』という言葉はとても重要でそこには深く重いニーズが隠れている。

単純なところからいくと「やりたいことが進まない」というのは非常に大きなストレスだ。とあるスタンフォード大学での研究によると、集中した状態で仕事をしている際に仮にオフィスに電話がかかってきたとして、それを取って単純なyes/no questionに応えるだけで、集中力を電話を取る前の水準に戻すのには15分以上かかるとのことだ。
また有名なシリコンバレーのVCアンドリーセンホロヴィッツの創業者マークアンドリーセン(Netscapeの開発者)は「メールは1日2回、決まった時間にしか見ない」だそうだ。割り込みを極端に嫌うということだ。
オフィスは割り込みの宝庫である。仮に話しかけられないとしても、周囲の会話は常に聞こえるし、困っている人がいれば助けてあげようかとも思うし、、、それによる損得などいちいち考えないが、積み重ねをなめてはならない。知らず知らず、時間と集中力は蝕まれているものだ。

さて、次はちょっと偏屈なところに足を踏み入れると、、、
「そこまでオフィスって好き?」

正直私は家が大好きだ。立地も外装も内装も気に入って選んだものだし、コーディングする場所もくつろぐ場所もボーッとする場所も適切にある。自分で選んだのだから当然だ。
一方オフィスはあくまで共有空間である。自分のみの意見で物事は決まらないし、会社の都合もあれば、「事務所」であるが故の制約や不便は必ず存在する。
オフィスが大好きな人には申し訳ないが、私は「家でやって良いのなら延々家で仕事したい派」だ。つまりオフィスにいることは少なからずストレスを受けている。しかしその分のベネフィットが見込める部分があるからオフィスにいるわけだ。
さて、みなさんはどうだろう?

さて、再びまともな方に話を戻すと次は「目的と合理性」の視点。
合理的でないことというのは一般に多くの人が憤りを覚える。例えば外回りの営業が「1日4時間はオフィスにいろ」とか言われたら明らかに非合理的だし、タフな海外出張から帰ってきて「12時以前に空港に到着する便に乗ってきた場合は、到着後は原則オフィスに出社するように」とか言われたら「オイオイ、疲れてんのに勘弁しろよ」と思うだろう。パフォーマンスの低下に他ならない。
「合理」というのは「理に適っている」ということであり、ここで言う「理」とは「業務およびミッション達成のための最適解」である。さて、オフィスに張り付いたところで商品が売れるだろうか?時差ボケで無理して出社したところでバグは潰せるだろうか?
そういう理に逆らった行動を強制的に取らされる時、人は憤りを感じる。
これらはいささか極端な例だが、考え直すべきはミッション達成の観点に立った時に、自らのパフォーマンスを上げるために何ができるか、何が削除できるか、何が足りないかは真剣に考えるべきなのだ。

結局のところ、もう少しリラックスすべきだという言い方もできるかもしれない。人間は1日に8時間以上緊張状態に置かれても大丈夫なようには作られていない。連続して2時間以上集中力を維持できるようには作られていない。無理すればするほど当然パフォーマンスは下がる。そんなの当たり前だ。
GDP/労働時間で見た時、日本はアメリカの半分だそうだ。勿論GDPで経済の全てが語れるようなことはないが、「倍」という明らかに微差ではない隔たりについてはあくまで真摯に受け止めるべきである。
つまりほとんどの日本人はベストパフォーマンスなどとはほど遠いところで日々を過ごしている。今時点で「そんなの当たり前」「こんなもんでしょ」「どうにもならないし」と思っている物事が、実は全然どん詰まりなどではないのだ。
もっと上もあるし、左右もあれば前後もある。ちょっと視点を変えるだけで良い。ちょっと意識を変えるだけで良い。

最善のパフォーマンスを目指すということは自分を言い訳できない際(きわ)に追い込むということである。しかしそれは本来至って当たり前のことだ。
言い訳できると思って甘えているような人間は残念ながら周囲に見抜かれる。結果、その人はパフォーマンスで評価されるようなことはない。どうせ言い訳がついて回るからだ。したがって別の軸で評価される。「オフィスにどのくらいいたか」「飲み会の付き合いがいいか」「とにかく言われたことをやったか」厄介なのは得てしてこれが『信頼関係』という極めて都合の良い言葉に書き換えられて流通するのだ。一度コレをやり始めてしまったら、変わらずコレにすがるしかない。つまり最善のパフォーマンスを目指さないということは、むしろ自らブラックの泥沼に足を踏み入れるようなものなのだ。

どちらを選ぶか?

答えは分かりきっている。

ノマドはあくまでひとつの方法でしかないが、きっちり自分のミッションと目標に立ち返り、気持ちと正直に向き合い、公私ともにベストをパフォーマンスを出して後悔しない人生を歩むためのいちアイディアとして真面目に考えてみる価値がある。