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当事者意識濃度
Categories: 組織論単独行

経営的な視点に立つ時、雇用というのはまぎれもなく負担でありリスク。
したがって
(成果)/(雇用)
の比率が良ければその組織は効率的で生産性のある組織だといえる。
つまり一人一人の能力がしっかり発揮されているかどうか、ってとても大事。

『能力の発揮』といってもいろんな側面があるわけで
・その仕事に向いているか
・与えられている仕事のレベルが合っているか
・部署が何でも言い易い雰囲気になっているか
・福利厚生が充実し、仕事に集中し易い環境が整っているか
・etc.

etc,etc、、、なんだけど、こんなのはすべて後付けの理由にすぎない。
「この仕事、ぼくに向いてないです」とか
「不満を言わないのは、不満が無いんじゃなくて上司が言い難い雰囲気を作っているからです」とか
「自分ひとりだけ残業しているのは与えられている仕事のレベルが高過ぎるからです」とか
場合によっては単なる逃げの『言い訳』だ。

つまりこれらは非雇用者の『逃げ道』を塞ぐために充実させる手法はあくまで有効だろうが、
会社として本当に効率を上げたければ注目すべきは違うパラメータは別にある。

それは

『当事者意識』

だ。

組織をコントロールする人はここを最も注視するべきで
逆に他のいろいろなことについては、大抵何か適当な理由や言い訳が見つかるだろう。

さて、想像に難くないように、当事者意識って人数が多くなれば多くなるほど薄まる。

したがって最も当事者意識濃度が高いのは『1人』の時だ。
つまり自分自身で自分自身のことについて考えているとき。
ここで当事者意識を持って真面目に考えられない人は、
全てのことに真面目に取り組むことなんてできやしない。

次が『2人』
これも当事者意識濃度としては限りなく1人の場合に近い。
若いカップルが結婚について考える、とか。
これも真面目に考えてくれない人はパートナーとして考え直した方が好ましいだろう。
そういう人間は、別にあなたのことに興味が無いわけではない。
2人という当事者意識濃度が極めて高い状況で真面目に取り組めないひとは、
先ほどの1人と同様に、単に『真面目に物事を考えられない人』である可能性が高い。

ただ、世の中に2人で問題に立ち向かうようなシーンって以外と少なくて
大抵は問題が発生したり議論しなきゃいけないのはもっと人数が多い場合だ。

さて当事者意識濃度があやしくなってくるのが『3人』
「ヨシ、来月のライブについて打ち合わせしよう!」
って集まったんだけどリーダーは熱く語るもひとりはタバコ吸ってマンガ読んでて
もうひとりはギターをピロピロつまびいてる。そんな光景はたやすく想像できないだろうか?
「イントロはこの曲で行こうと思うんだけど、、」
「ん?いいんじゃねぇの」「あー、好きにしていいよ」
ちょっとリーダー先走り的な組織ではよくありそう。

でもこういう状況の打開策は簡単。
それぞれに『責任』や『見せ場』を用意してあげれば良い。

「2曲目のさ、ソロをマサヤにやってもらおうかと思うんだけど、、、」
「え、マジで!だったらおれぜってーあの曲やりたい!
 ソロがマジかっこいいんだよー、な、いいだろ?」
「おっけーおっけー、次の練習までに音源用意しといてよ」
「やった、やべぇ、やる気出てきた!」

「そうすると、ヨシトもソロ、欲しいかな?」
「うーん、おれはどっちかっていうと実はボーカルやってみたいんだよな。
 別に全曲ってわけじゃなくて1曲でいいんだけどさ」
「あ、それなら実はおれちょっと苦手だと思ってる曲あってさ、
 ヨシトの声質ならひょっとして合うかもよ?次スタジオ入る時までに練習しといてよ」
「おぉ、いいねぇ。ちょっとやってみっか!」

というカンジ。

つまり『3人』における当事者意識濃度は
『本来は高く保てるはずなんだけど油断すると転落する可能性がある』状態だといえる。
この程度をうまくコントロールできないひとは、
まぁ組織を率いるのは諦めた方がいいだろう。周りのみんなのためにね。

さて、ちょっと飛ばして、次は『6人』
これってひとつの話題で盛り上がれる限界だと言われている数字で
7人になると4、3に分かれて別々の会話や論理やコミュニティが容易に発生する。
そのリスクは8人になることで劇的に増加し、
もはやきちんとしたリーダーシップ無しには8人の組織は100%成立しないだろう。
みんなバラバラに好き勝手なことをやったり、能率が著しく下がったりする。

6人の会議で寝てる人、6人だとしたらまだ当事者意識濃度は臨界点を超えていない。
つまりこれはもう当事者意識の次元ではなく、本人の資質。
例え4人の会議だとしても寝る人だと想像できる。下手をすれば3人の会議でも。。。
ま、寝てしまうというのは極端な例だが先ほどの3人の会議において
当事者意識に端を発する『個人の意見や責任感』を呼び起こさせるのは先ほど示したようにとてもイージーな話だ。
それは4人や5人の家族の場、新規プロジェクトの立ち上げ、などでも同じだろう。
リーダーがちょっとした組織運営のテクニックと気配りができればオッケー。
そんなに難しいことでもないし、大抵の『リーダー向き』の人は元から持っているスキルだと思う。

でも7人、8人、10人の会議になると
『自分の意見は無く、責任感も感じず、とりあえず聞いているだけのひと』が続出する。
これは本人の資質の問題ではなく当事者意識濃度の低下が否応無く襲いかかるからだ。

そしてこれはさらに恐ろしいことに

(メンバーの数) ー (当事者意識が低い人の数) < 6

になるのだ。
つまり6人で会議をやっていたときよりも『当事者意識を持って取り組む人が少なくなる』のだ。

ひとたび『ひとつの話題で盛り上がれる限界』の外側に自分はいると意識してしまった人は
面白い話なら『テレビやラジオを見るように聞く』だろうし
つまらない話なら『チャンネルを変えたいな、と思いながらも変えれないので我慢』と
思いながらとりあえず座っているのだろう。
本来なら面白い話ならもっと面白くする方法を提案するべきだし、
つまらない話はどうすれば面白い方向に向かうか真剣に考えて意見をぶつけるべきだ。
しかしその『外側にいる』と思ってしまった人はそういった思考を一切止めてしまう。

また愚痴を言うのは参加しているとはいえない。改善案を出してこそだ。

よくテレビを見ながら「政治家はもっと主張を持たないとね」とか
「この演出、もっと引っ張った方がテレビ的には盛り上がったよなー」とか言うでしょ?
これは改善案にたどり着いていない。単なる無責任な発言。

主張といってもどういう主張なのか?現行勢力に相対するか迎合するか?
それを支援者に受け入れてもらえるのか?派閥的に問題は無いのか?
引っ張ると他の枠に影響する、そうしたらどこのコーナーを削るのか?
金銭的には問題ないのか?さらにスポンサーが必要になった場合はどこからカネを引っ張るのか?
そんなことさっぱり考えちゃいないでしょ。
「そんなん考えないよ、当たり前だろー!」って言うでしょ。

これがまさに『当事者意識の欠如』

テレビを見るように会議を聞いてる、っていうのはそういうことだ。
そこの背景から専門的な問題について詳細を突っ込む気もないし、
それぞれの選択肢におけるリスクとリターンを正しく把握する気も調べる気もない。

しかしその『心理的乖離』をもたらしてしまうのは『人数』という
極めて離散的で、一点の不明瞭さも無くぶった切れる軸上で語れると指摘せざるを得ない。

だって無理なもんは無理なのだ。

したがって組織運営の視点に戻した時、
6人以下の会議は『単なる報告や通達』のためのものであって
何かを議論したり決定したりしたい』と思ったら必ず6人以下を招集するようにすべき。
これが生産性をあげるための重要な組織運営の手法なのだ。