mixture-art@Q
技術+アイディア+世俗+なんとなく思ったこと、すべての融合がmixture-art
「今日を精一杯生きるんだ!」は綺麗事でもなんでもなくて

先日スイス人のOTさんという方と夕食をともにする機会を得た。
60歳くらいのおじさまで非常にウィットに富んだ受け答えが特徴の方だった。
彼はStanford出身でスイス銀行などを渡り歩いたIT危機管理のスペシャリスト。
現在はスイスと米国のビジネスを取り持つ会社のBoard memberをやっているんだとか。

そんな彼は過去に大きな心臓の病気をしたことがあるらしく
その際どうにか一命は取り留めたものも今でも心臓の機能の半分は動いていないのだそうだ。

で彼が言うには彼はいま「leasing of life」の中にいるのだという。

命の借り物をしている。
「だから私は今15歳なんだよ」と。

加えて彼が言った言葉が印象的だった。

「私は劇的に変わった。
 私は人生は長くないことを知った。
 だから楽しくないことはしたくないし、無駄なことはしたくない。
 嫌いな人間と時間を過ごしたくないし、不味い食事は食べたくない」

例えばちょっとfunnyな話だが具体的にはこんなことをするという。

OTさんはゴルフが趣味だ。
ゴルフは4人でコースを回るのが普通だが当然1人や2人で回っても構わない。
しかしその場合はたまに誰か他の1人や2人のひとたちと組みにさせられることがある。
そうすることでゴルフ場としては回転を速くできるからだ。
これは別にどこでもよくある話だ。
私も経験したことがあるが、まぁ大抵穏便ににこやかにラウンドし続けるものだ。
(とある友人なんてコレきっかけで結婚したw)
しかしたまにすごくマナーが悪かったり、
こっちは真剣にプレーしたいのにものすごく話しかけてきたり
空気を読んでくれないひとたちもいるにはいる。
そういう場合どうするか?OTさんいわく

「私は3ホール目で帰るよ」

せっかく楽しみに来た時間をそんなやつらのせいで台無しにされたらかなわない。

またワインも大好きなOTさん。
彼のこだわりの解説の30%も私には理解できなかったが、とりあえず覚えて帰ったのが

「私はパーカーのレーティングで90点以下のものは飲まないね」

という言葉だった。
これはアメリカで有名なワイン評論家のロバートパーカーというひとが付けているランキングで
価格に関係なくランキングがついていることで
「庶民にとって非常に参考になる」と評価が高いらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ロバートパーカー

まぁ日本語のwikipediaがあるくらい認知されているようだ。

OTさんは健康上の理由で一日のワインの量も決めているらしく
そうしたら「死ぬまでにあと何本のワインが飲めるだろうか」と考える。
そうすると「まずいとわかっているものにトライするなんて無駄だ」と。

当然賛否のあるところだ。
第一印象が最悪だった人間が生涯の友人になることもあるだろうし、
信用できると思っていたものがごく一部例外的にアテを外しているようなこともあるだろう。
しかし、その「万が一」を考えて判断を先延ばしする、もしくは無駄に大きなリスクを取るほど

人生は長く悠長ではない、と彼は思い知ったのだ。
突然死ぬかもしれない経験をしたことで。

人生経験豊富なおじさまの前で力強く同調するのは気が引けるくらいこちらは若僧なのだが
それでも言いたいことはわかる。

人生は短い。

私が最初にそれを感じたのは、少々俗的だが
ドリカムボーカルの内縁の夫が私と同い年で亡くなった
というニュースを見た時だった。

http://matome.naver.jp/odai/2133229561467353501

病気が発見された時点で余命3ヶ月だったという。

同い年が突然余命3ヶ月。

畳み掛けるように、
実際に私の近しい友人のひとりが死の可能性と直面せざるを得ない状況に立たされた。
急性白血病だった。
彼女は闘病の末に回復し今は通常に近い生活を送れるようになったが

全ては発病前には戻らない。

彼女は東大卒のキャリア官僚という道を捨てざるを得なかった。
それが彼女にとって幸か不幸かなど、彼女以外の誰が決めるものでもないが
しかし、彼女が予定していたプランは大なり小なり修正が必要になったことは確かだろう。

そういうことは決して珍しくないし、
現に自分の目の前で起きているのに「自分は関係ない」なんて、

思える方がどうかしてる。


さて、明日死ぬかもしれない。

そうしたら、どうしよう。

読みかけのマンガを夜更かししてでも読んでおくか、
ダイエットしても仕方ないからたっぷり食いたいもの食っておくか、
禁煙なんかやめて一日2箱タバコを吸ったろうか、

そういうことではない。

死は誰しも巡って来る絶対的な行事だ。
それに向かって刹那的なスタンスで臨むことは好ましくない。
一時期ユダヤ教信者たちの中でグノーシスという
「天国があるんだから現世はどうでもいいや」という考え方が広まったという。
これは宗教のもたらす悪い側面だが、

どうでもいいわけがない。だって生きてるんだから。

ちなみにこの考えはすぐに否定され方向修正がされたが
きっと経済的、気候的、健康的、他にも色々なツラい社会状況を背景に
広まったんじゃないかなぁと想像する。
信仰を『現実逃避』に使ってしまったわけだ。

さて、日常寄りに話を引き戻すと
「明日死ぬかも」ってことは「今日を最高にしよう!」という言葉で変換されるべきだ。

例えば家のリフォームに取り組んだケースを聞く。
過ごし易い家で最後を迎えたいと。

例えばヨガに興味を持ったというケースを聞く。
かけがえのない自分の身体ともっとしっかり対話したいと思ったそうだ。

別にドラスティックでなくて、マンガみたいじゃなくて、普通でいいのだ。
人生が限られているから「もっとBETしなきゃ!」と思うかどうかは
これは単なる性格の問題であって、普遍的な理屈ではない。

例えば「資本主義社会の一員として経済の発展に寄与するべきだ」なんてことも
『ある価値観に基づくひとつの方向性』であって決して普遍的な理屈ではない。
極端な話、発展することが良いことだなんて誰が決めたんだ、と。

もっと大事なことは、

すっきりと起き、一日の始まりに感謝し、労働の喜びをかみしめ、
美味しくご飯を食べて、一日の終わりには今日のすべてに感謝する。

これをベースとし、これらを阻害するものを排除しよう、というスタンスだ。
逆に言うとこの感謝がなければ生きている意味なんて無い。

スッキリ起きれないのなら、安眠できるよう体調を整えよう。
起きた時に今日行うことに憂鬱になるのなら、そんな日々の生活は見直すべきだ。
労働に喜びを感じないのなら、もっとやりがいのある仕事を見つけよう。
美味しくご飯が食べれるように、仕事は会社でしっかり仕上げて早く家に帰り
家族と一緒に食卓を囲もう。
一日の終わりに「今日もろくなことなかったな」ともし思うようなら、
もうそんなことはやらなくて良い。
もっと楽しい一日が送れるように明日から全てを変えよう。

「今日を精一杯生きるんだ!」は奇麗事でもないと同時に
ものすごく高いハードルを設定する無理難題でもない。

ただ、日々に感謝できるように無意味なことをしない、楽しくないことに時間を費やさない、
あとで後悔するとわかっていることはしない、大事なものをしっかり大事にする。
それらを惰性に埋もれることなく積極的に改善を行っていくこと、それだけだ。

しかし、こうやって言葉で言うだけではまだまだ奇麗事でしかなくて
これを実践する際には当然色々な阻害要因が絡み合ってじゃまをする。
そういうときに大抵でしゃばってくるのが『金銭』や『将来』という言葉だ。

会社をクビになったらお金に困る
ここをガマンしないと将来出世できない
面白くないけど金になる仕事だから
身体はツラいんだけど残業代はローンの助けになる
etc.

でも、何が幸せで、何が無意味で、何が大事かなんてわかっているんだ。みんな。

しかし決断する勇気が出ない、

そんなときだけこの言葉を取り出そう。
「どうせ明日死ぬかもしれないわけだしね」

これでOK。


(追記)

先日こちらで知り合った方が病気で亡くなった。
末期の膵臓ガンで、発見した時点ですでに余命三ヶ月と言われたそうだ。
彼女は年齢は60歳を越えていたが現役で仕事をしていた方だった。
病気を知って家族と帰国し、結果日本で1年2ヶ月の闘病生活を送り、そして亡くなった。
彼女は最期まで笑顔だったし、会うたび(と言ってもネット越しだが)とてもキュートだった。
みなが口々に「本当は彼女に元気をあげなきゃいけないんだけど、むしろ逆に元気をもらう」と言った。
それは彼女の最期の精一杯が本当に美しかったからだと思う。
当然無理をしているのはわかっている。
抗がん剤の効果はどんどん薄くなり、より強い薬は強い副作用をもたらす。
すべてがボロボロだったに違いない。
しかしそんな中で彼女は「もうね、最期は感謝しかないのよ」と言う。
支えてくれる家族に、友人に、取りまく全てのものに。
なので彼女が亡くなったという一報を受けても私は不思議と悲しさよりも爽やかさの方が先に立った。
そして彼女のように晴れ晴れと生きたいと強く思った。