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「もしドラ」読みました (レビュー)

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

を読んだ。

まずは良いことを。

この本はドラッカーの入門書としては非常に
・興味をそそる
・若年層向け
・一直線なストーリーに乗せているので内容がわかりやすい
という意味合いで優れていると感じた。

設定等細かいツッコミどころは腐るほどあるが、この本の目的である
「ドラッカーに興味を持ってもらう」
というのは容易に達成するレベルにあると思う。

ドラッカーのマネジメントからの引用も断片的で前後関係もよくわからない。
だから「不十分」と感じるかもしれないが、
それは「興味を持った人はホンモノ読んで下さい」のメッセージとして受け取れるだろう。
したがって「この本は小説であり実用書ではない」という観点に立てば
十分すぎるほどその役割を果たしていると思われる。

つまりはトータルではこの本はファンタジーなのである。

実際に本文で行うような工夫はどの学校でも行っているがなかなかうまくいかない。
本文でイノベーションと位置づけている「ノーバント・ノーボール作戦」とやらも
飲み屋でおっさん二人が話した程度の思いつきにすぎず穴だらけだ。
ま、その点は中途半端なファンタジーなのである。
よっぽど魔球でも投げれたら良かったんだけど、ま、そこは著作者の意地の現れなのだろう。
# 多分著作者はファンタジーとしては書いていない

さて、以下は個人的な所感。

以前このブログ
「<芻読>脳構造と明文化の重要性について」
でも書いたが、もしドラは明らかに『芻読』だった。

つまり『これを読んで「ハッ」とさせられるような人はヤバい』
「なるほどね」でもない。「だよね」と思わないようではマズい。

以下にいくつか本文中にでてきた『マネジメント』のポイントについて挙げてみよう。

「顧客に提供する物・サービスの定義→組織の定義に繋がる」

組織のあるべき姿を考えたことがない人にはしっくりこないかもしれない。
「下っ端だからそんなん考えても意味ない」なんて言っててはいけない。
サッカー王国ブラジルがなぜ強いかを問われたときにあるブラジル出身の解説者が言っていた。
「ブラジルには監督が2億人いるからね」
全国民がサッカーに関心を持ち、自分なりの意見を持ち、飲み屋で議論し、
子供に話し、地域で指導し、おじいちゃんになってもプレーし、
そうやって土台が築かれているんだ、と。

「働きがいを与えるためには責任を与える必要がある。
 そのためには、生産的な仕事であること、結果のフィードバック、継続学習が必要。」

これは間違いなく皆感じていることだろう。ちゃんと勤労していたら。
旧体制的組織における慣習をベースにマネージメントすると計算のできる「歯車」を求める。
ある部分に秀でてそこを100%こなせる便利な道具、という意味だ。
一度くらいそれを要求されて憤りを覚えたことは皆あるだろう。
でも、経営者でも部長でも課長でもましてや係長ですらない我々は
別にそんな大それたものが欲しいわけじゃない。
「やりがいのある仕事」と「やりとげたときに褒めて欲しい」そんな程度だ。
さらに成長を望むのなら「新しいものへのチャレンジ」などが欲しくなるが、
このステップについては人それぞれだろうしそれはそれで良いと思う。

「専門家は得てして複雑な用語を使うことで自身のアウトプットを劣化させ、
 インプットを正しく受け取ることができていない。
 それを通訳し組織の円滑化をするのがマネジメントの役割である。」

『使えないベテラン』にヤキモキしたことのあるひとなら誰でも知っているだろう。
彼らは『使えない』んじゃなくて『使い方を周りも本人すらよくわからない』のだ。
やる気が完全に無いとしても、それも『やる気がどこにあるのか本人すら忘れちゃった』のだ。
これをいかに抽出し、うまく活かしていくかは重要なマネジメントである。

「人は最大の資産」

当たり前。組織や数字を守るべき最上位に置いてる輩はホントに死んで欲しい。

「企業の社会貢献の重要性」

儲けを出しているだけではいけない。これは社会人になってから知ったこと。
社会的批判の火種を無視する行為や儲けすぎて社会に還元しない行為は、
いずれ、ひどい場合は破滅まで招く。それは近年の様々な事例が証明しているだろう。

「情けは人のためならず」
という日本古来のことわざもこれを示唆していたんだな。

「市場において目指すべき地位は、最大ではなく最適である」

お偉いさんの演説を聞いていて「バカバカしい」と思ったことはないだろうか。
「◯◯で弊社はナンバー1を狙う!」エイ、エイ、オー、的な。
インパクトって意味ではそういうお題目は大事だ。それは認める。
でも仮に『経常利益ナンバー1』の会社を作ったとする。いかにも良さそうなカンジだ。
しかしその中身が社員の常習化したサービス残業や厚生費の圧縮による固定費の削減と
古くからの高品位路線を捨て、人を切り、中国市場における安売り競争に勝つ形での売り上げ
言い換えると長年築いたブランド価値をドブに捨てての『今年の勝利』によって成り立っていたとして、
さらに経営陣はその利益を株主への還元に熱を上げ、社員の給料に一切反映させないとしたら、
こんなのどこが良い企業なのだろうか?

最大、ナンバー1、そんなものは景気の良い客寄せパンダでしかなく
そんなものではメシは食えないし従業員は満足しない。

「無知や無能、態度の悪さや頼りなさには寛大たりうる、だが真摯さの欠如した者をマネージャーに選ぶことは許さない」

新橋の立ち飲み屋で上司のことを愚痴るとき、うまく言えているかな?
必ずこう言おう。
「◯◯なのは仕方ないとしてさ、××だけは許せない」
ある程度は寛大であるべきだ。完璧さを求めてはいけない。
日本でマネージャーになるひとは得てして神経質な人が多い。彼らは心が弱いから。

さて、以下はちょっと苦言。

本文で理解違いをしてるんじゃないのかな〜と思ったとこがあった。

「成果よりも努力が重要であり、職人的な技能それ自体が目的であるような錯覚を生んではならない」

プロセスより結果が重要であるって話じゃなくて
目的と手段をはき違えるな、という話ではないかと思う。
目的は成果にあり、手段ではない、と。

本文中ではそれを「成果を出す責任がある」という理解の仕方をしているが
それは率直に間違っているように思えた。
その理由は「Responsibility」と「責任」の意味のズレではないかなぁ、と思う。
言葉にするとピッタシ同じ者なのだけどポジティブとネガティブの配合が違う。
私の感覚ではResponsibilityが「ポジティブ : ネガティブ = 8 : 2」くらいでできているのに対して
責任が「ポジティブ : ネガティブ = 3 : 7」くらいではないだろうか。
Responsibilityにはwillが入っている。

つまり「成果を出すResponsibilityがある」という宣言は「妥協しません」という意味であり
日本の感覚で言う「成果を出す責任がある」だとしっくりこない。
なぜなら古来からの日本的組織体系で言う「責任」は「やらないとマズいことになる物事」という意味合いが強い。
逆に言うと『望んで行っている』という印象が著しく欠けているのだ。
なので意思を持って「責任」という言葉を使うとどこか軽薄さすら感じる。

例えば新しく総理大臣になった就任演説で
「私には日本を立て直す責任がある」
と言うのと
「私には日本を立て直すという意思がある」
と言うのと、どちらの方が好感が持てるか?
前者はなんかお先真っ暗で重苦しい印象がないだろうか。もしくは自意識過剰。

つまりドラッカーの言いたかったことは
「マネージャーたるものきちんと成果を見据えそこに妥協してはならない」
ということであって「プロセス軽視」の発言にはほど遠かったと思う。
マネージメントする立場の人間への『自戒』に近かったんじゃないかな。

本文では、な〜んとなくそこを消化不良にしたまま終了している。
(しまいには消化不良のまま登場人物が亡くなる)
消化不良もしくは説明不足って小説では許されるけどこういう『実用書』でそれはマズいだろう。

おれはこの小説をファンタジーだと思う。なので別に構わないと思う。
でも著者はきっと実用書として書いている。なのであやふやなままの消化不良はマズいと思う。


コメント

  1. […] This post was mentioned on Twitter by くずりゅう ゆういちろう, くずりゅう ゆういちろう. くずりゅう ゆういちろう said: #twitbackr ブログ書きました。from mixture-art : 「もしドラ」読みました (レビュー) http://mixture-art.net/?p=1323 […]